人生2度目の全力投球

「中日ドラゴンズ背番号211」誕生

「野球か陸上をやれ!」と父に言われて野球を選んだのが小学3年の時。当時は体が小さく、野球も下手でノーコン。ストライクが入らなくて5回までに2時間かかったゲームもありました。中学でも1年目はベンチに入れず、ひたすら走ってただけ。ところが2年目に試された時にいいピッチングができて抜擢され、結果も出て、3年時には日本代表にも選出されました。毎日の走り込みが効いたのだと思いますが、「2年目に結果を出す」というのがボクの癖なんです(笑)。高校でもその「癖」は続きます。エースになったのは2年の時。ピッチングに開眼するきっかけがありました。桐光学園の松井祐樹投手(現・楽天イーグルス)を見て、あんなピッチャーになりたいと思ってフォームを真似したんです。それが自分に凄くフィットして、140キロ台のストレートと縦のスライダーで三振を獲りまくりました。3年の夏はデッドボールでの骨折もあり甲子園には行けなかったんですが、中日から二巡目の指名を受けて育成選手として入団。背番号は211。2年間をプロ野球選手として過ごしました。

野球から離れて悩む日々

2年間、懸命にやりましたが結果は出なかった。戦力外通告されて悔しかったです。仲が良かった先輩と別れる時には涙が出ました。その後は、トライアウトでオファーがあった会社に入って工場で働きながら軟式野球を続けて一年で退社。野球とは縁を切ろう!スーツを着て仕事をしよう!と決心して入社した不動産会社も1年で辞めました。こう言うと簡単に会社を辞めているように思われるかもしれませんが、いろいろなことがあって、いろいろなことを考えた日々だったんです。自分の思いを受け止めてくれる会社や人との出逢いを探していたのかもしれません。

運命の人、現わる

その後、いろいろな人の考えを聴きたいと思って、経営者の方が集まるバーでアルバイトをしました。興味深い話を聴くことができて面白い経験だったんですが、そこで筑前(名古屋統括)と出会ったんです。お店の人から「できる人だ」とは言われていましたが、彼の言葉は自分の心に真っ直ぐ届いた。声がよく通り、説明もわかりやすい。そして何より驚いたのは彼の爪の美しさでした。身だしなみにも細心の配慮をして営業という仕事に向き合っている姿勢に感動したんです。この人となら営業という仕事を極められると思って応募を決めました。バリバリやるぞと気合十分でした。

青森?冗談じゃない!

「採用はするが勤務地は青森」と告げられた時は悩みました。正直なところ「冗談じゃない!なんで青森なんだよ!」と思いました。東京で勝負しようと意気込んでいたし、三重出身の自分にとって本当に遠い土地だったからです。ガッカリしながらも、自分のこれまでを振り返り、長いこと考えて答えを出しました。「青森へ行こう」と。それまで不動産の営業で結果も出していましたが、基本知識が不十分で営業を極めたというレベルではありません。次こそは、それを克服して仕事を極めたい。そのために家族も友人もいない場所で仕事に没頭できる青森の環境は悪くない。人として成長できるはずだと。ブレインの商品、ブレインのサービス、そしてブレインが考えていることを全て理解している自分を青森で作ろうと思ったんです。

最強の営業マンへの道

青森での仕事は営業ではなくお客様のサポートです。人と話すのは大好きなので、電話で説明して感謝してもらえるのは楽しい。会社の仲間もいい奴が揃っています。一方で、古くからの知り合いがいないから気持ちが緩まない。引き締まった精神状態でいられる。今は、青森に来て良かったと感じています。
そしてブレインの社員としてのベースを早く作って東京で勝負したい。営業という仕事を突き詰めると「モノを売るのではなく自分自身を買ってもらう」こと。ひとりひとりが自分のスタイルを持たなければなりません。多くのスタイルを学んで、そこに自分をミックスして最強の営業マンになりたいんです。松井投手のフォームと自分が合体したら凄くなった経験を営業でも味わってみたい。それが実現したら「売れないものは何もない」状態になるんじゃないか!と今からワクワクしています。そのためにも「2年目に結果を出す」というボクの「癖」、青森では早めに出しちゃう予定です。

小さな目標をひとつずつクリアしていく。
そこに成長がある

部分(スペシャリスト)ではなく全体(ゼネラリスト)

高校生のときから『BLOODY MONDAY』や『攻殻機動隊』といったハッカーをテーマにした漫画が好きで、自分も将来はコンピュータを自由自在に扱えるようになりたいと思っていました。
大学でも一通りは勉強できますが、コンピュータは全体を習得するまである程度時間がかかります。だから大きな会社では仕事を完全な分業制にして、限られた範囲の作業だけを行うスペシャリストを作っていくわけですが、ブレインでは「部分」ではなく「全体」がわかるゼネラリストになれます。誤解を恐れずに言えば、給料をもらいながら勉強ができますし、実際に定期的な勉強会も開かれています。

会社としての懐の深さに感激

私の現在の仕事は主にウェブ関係ですが、先日、レジ部門のほうからiOSのアプリを作って欲しいというオファーが来たときに、未経験の分野でしたがダメ元で「自分にやらせてください」と手を挙げたら「やってみろ」という答えが返ってきて、あらためてその懐の深さに感激しました。
大学時代の友人などから、大手に就職したものの、毎日、ひたすらプログラムのテストだとかデバッグ(不具合の修正)だけで変化がないという話を耳にする度、自分は本当にラッキーだったなと思います。

将来の目標

いまはまだ、先輩との圧倒的な実力差を感じることがしばしばですが、それで落ち込んだりせず、「今日はここまではやろう」と自分で目標を立てて、それをクリアすることを自分に課しています。もし達成できなくても、次は必ずやりとげて少しでも成長していくことを心がけています。 今後の目標としては、上から作れと言われたものを作るだけでなく、自分からアイデアなり企画を提案して、それを実際に製品として生み出せるくらいの実力をつけたい。「あいつに任せておけば、なんとかやってくれる」という信頼を得られるような人間になりたいと考えています。

熱中できるものを求めてたどり着いた場所

プロレスラーをめざした10代

子供の頃から野球をやらされていたのですが、協調性がなく団体競技は向いていないと自覚して格闘技に進路変更したのが15歳の時。
総合格闘技のジムに入門し、同時にアニマル浜口さんの元でレスリングも学び始めました。プロレスラーになることが夢であり、具体的な目標でした。道場に住み込んでトレーニング漬けの毎日を送りました。キツくて厳しいけど熱中できることがある充実した日々でした。22歳になって「もうすぐデビューできる!」という段階を迎えたのですが、腰に大きなケガを負って歩くことさえ難しい状態になってしまったんです。どの病院に行っても「もう格闘技は諦めた方がいい」というのが答え。もちろんショックは大きかったですが、ウジウジしているのは性に合わないので無理やり気持ちを切り替えました。
そしてプロレスに代わる「熱中できるもの」を探しにニューヨークに渡りました。それは「今はニューヨークが最先端」という言葉に惹かれたから。本当にプロレス以外のことは何も知らなかったんです。しばらくの間、宿も決めずにウロウロしていたのですが、結局、プロレスのように没頭できるものは見つけられずに日本に戻ることになります。

出会いと成長

その時に出会ったのが天毛(代表)の本『独立不羈』です。衝撃でした。プロレス以外で、これほど仕事に命を賭ける人がいることに心を動かされました。この人といっしょに仕事をしたいと思い、面接をお願いして体験入社することを許されました。それが10ヶ月前です。
今は営業の仕事をしています。多くの人に会い、自分を理解してもらい、交渉をして、共に物事を進めることが楽しい。一般社会で仕事をするのは、ここが初めてで、自分にとってはここが基準なのですが、友人に聞く状況と比較してみると、ずいぶん自由にやらせてもらっているということが最近わかってきました。子供の頃に自覚していた「協調性の無さ」も仕事では感じなくなりました。気づかぬうちに自分を成長させてくれたのだとすると、それは本当にありがたいことです。そうなる環境を与えてくれている会社にも感謝しています。

新しいものを生み出せる人へ~そしてさらに大きな夢

現在の目標は、新しいことを生み出せる人間になること。まずは会社の中で新しいことを提案して実現できるようになりたい。それによってブレインという会社をもっと世の中に広めたいと思っています。
天毛と同席した会議で、格別に印象に残っていることがあります。それは「誇りを持てる仕事をやっていこうぜ!」という彼の言葉です。
自分の心の中でいつも響いている言葉。それを抱えながら、いつかは何かで世に出たい。それが自分の夢です。

目指すは全方面のスペシャリスト

心を動かされた出会い

元々、人前で発表したり披露したりするのが好きなのですが、高校生の時に男子新体操に出会ったこと、劇団四季やブロードウェイに興味があったこともあって、高校卒業後はパフォーマーになるための進路を考えていたんです。でも、色々な事情で難しくて。そこで、23歳までに300万円貯めて、海外に行こうと思ったんです。以前勤めていた会社は、貯金をするために給料だけを見て決めましたが、60歳になった時の自分を想像したら、この仕事を続ける意味って何だろうと考えました。
そんな時、青森オフィス立ち上げのタイミングで、天毛(代表)と会いました。「会社とは?働くこととは?」など色々と話しましたが、めちゃくちゃ熱い人だなと感じました。強い志を持っている。こんな人がいるんだ!と衝撃的でした。その熱意に心を動かされて、給料や休暇などの待遇については一切聞かず、二つ返事で入社を決めました。話を聞いただけで、ブレインに入りたいと思ったんです。奥さんには事後報告でした。「ブレインの社員はみんな仕事が好き」というのも、決め手の一つでした。

みんな、背中を押してくれる

ブレインに入社して、同年代の人とは比べ物にならないほどの経験をしていると思いますし、自分の成長にも繋がっています。昨日までは誰かのサポートがあって答えられていたことが、今日は自分で解決できる、答えられる。その瞬間が楽しいんです。
会社は前向きな人たちばかりなので、仕事をしていて楽しいです。「お金が稼げればいい」という人もいないし、自分次第でどうにでもできる前向きな会社です。そして、青森オフィスの良さは「人」。背中を押してくれる人たちが周りにいて、流れも自分たちで作れる。そして何より、冷やかしがないんです。

将来はパイオニアに

元々は営業希望でしたが、青森では難しく、今はサポート業務をしています。エンジニアの勉強もする予定ですが、やっぱりいずれは営業もやりたい。社内で、営業・サポート・エンジニアのすべてをできる人はいないと思うので、自分は全方面のスペシャリストになりたいと思っています。

自分の人生をどう生きるか

最初の面接で惨敗

最初に就職した会社は半年で挫折。SE(システムエンジニア)の仕事自体は好きでしたが、帰れない、寝られない、風呂にも入る時間もない、という状態が半年続いたところで心が折れました。そこからいくつかの企業の営業部門を経て、仕事を通してできた仲間数人と起業したのですが最終的には解散することになったときに、知人から「受けてみないか」と紹介されたのがブレインでした。
そこで天毛(代表)と面接となったわけですが、苦戦しました。営業はそれなりにできるつもりでしたが、この分野なら誰にも負けないと胸を張れるものもないし、たとえ入社できたとしてもすぐに成果を出せる自信もなかったからです。「就職を考える以前に、自分の人生をどう生きたいのか」「30歳になるまでの間に、どんな自分になっていたいのか」天毛から投げかけられた問いに答えることができません。惨敗でした。すごく怒られました。

確かに自分は単に目の前のことだけに気を取られて、そのときそのときを生きているだけで、どんな人間になりたいのかなんて考えたこともなかったことに気付かされた。けっきょく「考え直してこい」のひと言で面接は終了です。

心に引っかかった言葉

「終わった」と思いました。でも天毛の言葉がいつまでも心に引っかかって、もう一度自分を見つめ直そうと、それまでの自分を振り返ってそれをノートに書き起こしているうちに、たどり着いた結論が「20代のうちに自分に自信をつけること」でした。
それでもう一度だけチャンスをくださいと再面接をお願いして、「何かができるようになる」ではなくて、「自分自身を信頼できる人間になりたい」ということをそのまま自分の言葉で伝えることができた。

――それが、いま私がこのブレインという会社にいる理由です。

仕事が楽しいと胸を張って言える

いまの私の一番の関心事は「仕事」です。それで楽しいのって聞かれても、楽しいと答えられる。仕事が好きだからです。
いろんな会社を転々としてきたからよくわかるのですが、ブレインは古い上下関係やしがらみのない風通しのよい会社です。オフィスがワンフロアだから全ての部署が見渡せるので、いまの状況がどんな感じなのか伸びているか伸びていないか、うまくいっているかいないかを感覚的に把握することができる。それもまた風通しのよさにつながっているのだと思います。

目標はマネージメントができる人間になること

人生を決める本との出会い

実家は酒屋でしたが、小学生の頃は野球に熱中していて夢はプロ野球選手。憧れの選手のようになりたかった。
でも成長するにつれ、それが無理だと気づく時がやってきます。そこから受験勉強をして大学に進学しました。
大学ではビジネス本や所謂「成り上がり」モノを読み漁って、漠然とではありますが「将来は大きな人物になりたい」と考えるようになりました。
そういう時期を経た後に出会ったのが天毛(代表)の本『独立不羈』。大学3年の冬、そろそろ就活をしなければと思い始めていた頃に知人が紹介してくれたんです。読み終えた後には、その「熱すぎる人間性」に惚れ込んで「もうここしかない」と決めていました。そして就職サイトを経由してではなく、直接、会社のホームページに申し込んで面接を受けさせてくださいとお願いしました。「どういう仕事がしたいのか」よりも、「こういう人になりたい」という気持ちの方が強かったのだと思います。天毛のようになりたいと心の底から思ったんです。

インターン時代にすでに感じていた仕事のやり甲斐

インターンとして採用されてからは、学生ではあっても社員と同じ仕事をします。得意先からの電話を受け、ひとりで営業にも行きます。社員と同じスケジュールで必死に取り組みました。この時に感じた気持ちは今も変わっていません。仕事はやり甲斐があって楽しかったし、結果としては大きなアドバンテージを得ることができました。入社して社会人になった時点で、すでに仕事の基本的なことは理解していたし、お客様もいて営業もできるわけですから。

「育てる」喜び

今は代理店との仕事がメインで、企業とのやりとりが増えています。その中で、新しい代理店に出会い、当社の商品やサービスを理解してもらい、共に営業をして新しい契約を決められた時の喜びは格別です。人を育てる素晴らしさを少しづつではありますが感じ始めています。将来はマネージメントをする立場になりたいと思っているので、そのための貴重な経験を積ませてもらっていると実感しています。

新聞記者志望だった男がブレインの魅力を伝える仕事を目指す

震災が決意させたが

大学生のとき、目指していたのは新聞記者でした。高校卒業時に地元である岩手県の町が東日本大震災の津波に呑まれ、跡形もなく消えてしまったとき、この状況を伝えていきたい、形として残していきたいと思ったのが始まりでした。就職活動では新聞社ばかりを志望し、結果は惨敗。夢は諦め、青森の住宅会社に就職しました。給料も高く、家を作るという仕事にもやりがいを感じていましたが、結婚を期に退職を決意し、残業が少なく安定した仕事に転職しました。営業に従事していましたが、現実は事務作業がメインで一日中同じことをやり続ける日も多かった。そのような状況の中で「このままでいいのか」「このまま生きていて意味があるのか」「なんの目的もなく時間と命を使っているだけでいいのか」と自分に問いかけるようになりました。

ブレインで実感できた人生の時間

そうこうしながら転職を思案していた中で、妻がブレインの求人を勧めてきました。「ライター募集」という名目だったので、「文章を書いて生活していく」という私の夢が叶えられるかもしれないと考えてくれたのだと思います。でも、その時点では、私自身は社名も知らないし、どのような事業をしているのかもわからない。興味本位でウェブサイトを開き、天毛(代表)の書籍のページを読んでみました。阪神大震災のこと、そして「時間とは命そのもの」という言葉に衝撃を受け、勝手に共感し、すぐにネットで注文していました。読み進めていくと、自分の気持ちは決まっていました。「ブレインで働きたい」「天毛さんのところで働いてみたい」。その気持ちだけでブレインに入社することを決めました。天毛も社員も、ブレインという会社自体も人を惹きつける何かがあると思います。そのような環境の中で、人生の時間を使っていられることに、今は幸せを感じています。

刺激しかない

青森オフィスの人たちと仕事をしていると、とても刺激を受けます。若い人も多い中でとてもモチベーションが高く、ここまで雰囲気よく仕事をしている会社は中々ないのではないかと思います。とにかく毎日が心地よい驚きの連続です。ライター希望で入社させていただきましたが、何の知識もない私に書けるわけもなく、勉強の毎日です。今は、カスタマーサポートの仕事に取り組んでいます。まずはブレインの仕事を覚えて、ブレインを理解して、少しでも早く会社の力となれるスタッフになりたい。そして将来は、ブレインの良さや魅力をいろいろな方に伝えられる発信源になりたいと思っています。

面白い人が船長をしている船に乗りたかった

不動産会社での安定した15年

生まれは広島県呉市。全校生徒が100人くらいの小学校に通い、自然豊かな場所でマウンテンバイクに乗って遊ぶような子供時代でした。
不動産会社に勤務していた父の転勤で中学からは東京暮らし。高校、大学も東京です。父と同じ業界には進みたくないと思っていたのですが、結局、就職したのは不動産会社。大学時代は遊んでばかりで卒業も危ういレベルだった中、大手不動産会社から宅建(宅地建物取引士)試験に合格すれば採用してくれるという話があったからです。この時だけは必死に受験勉強して合格しました。お客様に不動産物件を販売し、ケアをしながら長く付き合っていく仕事は自分に合っていて、やり甲斐も感じていました。安定していた15年でした。ところが、そこからいろいろなことが始まるんです。

倒産してから運命の出会いまで

最初の事件は、2008年、リーマンショックで会社が倒産したことです。どこかの会社が面倒を見てくれそうだとか紆余曲折があったのですが、元の上司だった人が会社を立ち上げて、そこで働くことになりました。仕事は倒産前と同じマンション販売の営業です。ある物件の関東での販売を担当した後、次は青森に滞在して同じシリーズの営業をすることになりました。お客様をモデルルームに案内して説明する毎日を送っていた時に「六本木ヒルズの会社の人から問い合わせがあった」という連絡を受けます。これが第二の事件。はじめは「怪しい話だなあ」と疑っていました。「ヒルズの会社の人が青森の物件に問い合わせをしてくる」って、あまりに不自然なので。ところが問い合わせは本物で本気。天毛(代表)が青森まで物件を見に来て契約をすることになります。当初は別の人間が対応をしていたのですが、契約の場で初めて彼と会うことになりました。今、思えば、その時の第一印象が、その後の進路変更を決断した理由なのかもしれません。話が面白くて、猛烈に忙しそうで、今まで接してきた人たちとは全くタイプが違う。そして、これはとても不思議なことなのですが、契約を終えて物件の引き渡しが済んだ後にも、彼とすれ違うことが何度もありました。「あれっ?また会いましたね!」みたいな感じで。シリーズ全物件の販売を終えて東京に戻ろうとしていた時にも、どういうわけか、また会ったんです。その時に連絡先を交換しました。

仕事ではなく人を選んだ転職

しばらくて彼と会うことになります。営業マンとして「別の物件も勧めてみようかな」くらいの気持ちで出かけたのですが、その場で「うちに来ないか」と誘われました。突然で驚いたし、理由もわからないし、その時の仕事にも不満はなかったので即答はせずに答えは保留。家に戻って数日間、一人でよく考えました。そしてブレインへの入社を決めました。理由は「この人といると面白いことが起こりそうだ」と思ったから。「どういう船なのか?はよくわからないけれど、船長がこの人なら乗ってみてもいいや」と感じたとしか言いようがありません。転職という大きな決断の理由としては軽く感じるかもしれません。でも本当です。仕事を選んだというよりは、人を選んだということです。「もし仕事や環境を変えるなら30代後半の今しかない、これが最後のチャンスだ!」という思いもありました。
不動産から転職して全く違う業界なので覚えなければならないことはたくさんあります。これまでの会社では若手だったのですが、今はほとんど人が年下。環境は大きく変わりました。でも、それは想定内。「乗ってる船」は船長の判断や閃きで毎日変化します。昨日と今日で方針が変わることもある。進む方向もいろいろあるし、今はやっていないことが始まるかもしれない。その中で「自分は何に関わっていけるのか?その時に何ができるのか?」を日々、考えています。船長が面白い船は面白いです。

人のために、社会のために、会社のために

元々はブレインユーザーだった

大学卒業後、アミューズメント施設を運営している会社に入社。会社として初めて飲食事業をやることになり、店舗側の統括を任されていた時に出向いた展示会で、ブレインのレジと出会いました。他にもいくつか候補はあったものの、デザイン・操作性・機能・価格面でブレインのレジは頭一つ抜けていたので、導入を即決しました。
その後、地元・青森へUターン。仕事を探していた時、ブレインの求人票を見つけました。「え?ブレイン?もしかして!」と思い調べると、やはりあの時使っていたレジのブレインでした。初めてブレインレジに出会った時のわくわく感が再び自分のなかで思い出され、レジを使ったことがあるからこそ、この会社のためにできることがあるのではと思い、即応募しました。

「お客さま」だったからこそ

「世の中のためになることをし続ける」。これが会社の存在意義だと思っています。POSレジの多くは非常に高価です。それが理由で導入できない店舗もたくさんあります。ブレインが低価格で提供することで、多くの店舗がPOSレジを導入しやすいと思います。POSレジの導入で、店舗はデータ集計もできて売上分析もできる。分析を元にメニューをブラッシュアップすることで、来店客の満足度も上がる。結果、店舗の売上にもつながり、レジを導入して良かったと感謝される。
ブレインはまさに「世の中のためになること」をしている会社だと改めて実感しています。レジを使っている店舗とそこで働く人たちのことだけでなく、店舗に来店するお客さまのことまで考える。ブレインがやっていることは、「モノ」を作るだけでなく、その先にあるお客さまの「笑顔」を作っている。そんな気持ちでサポート業務をしているので、店舗のトラブルや不安、課題を解決できた時はやりがいを感じています。

組織としてもっと成長させたい

「全ての原因は唯一自分の中にある」−
今、起こっていることの原因は全て自分にあるという言葉です。例えば、違う仕事をしている誰かがミスをしたとしても、その前に自分にできることがなかったか?と反省することが重要だと思って仕事をしています。絶対に人のせいにしない。そういった考え方はチームの団結力を高め、ひいては自分自身の成長につながると信じています。ブレインは一人ひとりがいないと成り立たない。上下関係もなく、みなが責任感を持って仕事ができているなと感じています。そしてスピード感に溢れ勢いもあり、集中力を高めて仕事ができるため、めちゃくちゃ達成感があります。自分の考えや意見を会社にぶつけ、自分で会社のルールや常識を変えることができる会社はそうありません。そういった会社のいいところを活かしながら、青森オフィスの組織全体を成長させていきたいと思っています。この先、仕事の幅として色々な知識を身に付けたいと思っていますが、青森オフィスの中心になれるよう努力していきます。

何が来ても、ブレインらしくやっていくだけ

人と違うことが好きになる子供だった

テレビ・ゲーム世代で、小学生の頃からファミコンでゲームをやっていました。同時に外に行ってはザリガニを獲っていたし、ケン玉みたいなモノを集めるのも好きだった。関心を示す対象は一見バラバラですが、共通しているのは「メジャーじゃなくて、他の人があまりやっていない」ということ。中学に入るとコンピューターに対する関心はさらに高まり、同時に今に繋がる性格がはっきり出てきます。選んだ部活動はバトミントン部。理由は、自分以外に部員が一人しかいなかったから。面倒な上下関係や、うるさい先輩がとにかく嫌だった。そういうい煩わしさがなくて、すぐに試合に出れて、すぐに楽しめる。そういう環境が欲しかったし、そうでなければイヤでした。それは今も全く変わっていない基本方針です。

ビフォー・ヒルズ と アフター・ヒルズ

ブレインでの12年間を振り返ると、ヒルズに来る前(ビフォー・ヒルズ)と、来た後(アフター・ヒルズ)で展開が全く変わった印象があります。思い出深いのは、メール配信システムをやっていた頃に、社内の説得も含めた戦略を練りながらサーバーをチェンジしたこと。これによってメール配信のキャパシティが大幅に向上して売上が倍増しました。自分のアイディアを実現させることで会社にも貢献できる楽しさを知ることができた。こうした経験を繰り返し、会社が大きくなっていく実感を味わいながらやってきました。自分はビフォー・ヒルズからのスタッフなので、自分たちがこの会社をヒルズに連れてきたんだという自負があります。

ブレインらしさとは?

会社の様々な場面でメンバーは変わっています。「こうあるべきだ」と誰も言っていないし、全員が同じ方向を向いているわけでもない。それでも「ブレインらしさ」は確実に存在しています。デザインにおいても「これをやったらブレインではなくなる」ことがあるし、逆に「これをやらなければブレインではなくなる」こともある。
今は、企画を考え、ウェブサイトの設計も、コンテンツも、デザインも担当しています。フリーペーパーの制作という仕事も増えました。一見すると業務範囲が広すぎるのですが、自分の中に混乱はありません。それは全てをコンピューターから学んだからです。コンピューターのソフトウェアは実は根本は同じです。メニューが上にあって、それによって出てくるアウトプットが違うだけ。過程や考え方にさほどの違いはありません。そう捉えられれば、業務の範囲が広くなっても今までと変わりなく取り組んでいける。だから考えていることはとてもシンプル。「何が来てもやっていくこと」「自分が変わらずにやっていくこと」「何が来てもブレインらしいことをやっていくこと」しかありません。
ブレインは、仕事をちゃんとやっていれば何も言われないところです。面倒な上下関係もないし、うるさい先輩もいない。人とは同じように成りようがない自分のような人間が、自分のままでいられる場所です。中学生の頃に決めた方針そのままでやっていける企業は、そう多くはないと思います。だからブレインに出会えたことには感謝しています。そして仕事で必要があるときには徹底して頑張る。それも楽しみながら頑張る。そういう風土があります。それも、ボクが好きな「ブレインらしさ」です。

まだ、誰も成し遂げていないことを―

一からできる喜びを感じて

大学卒業後はエンタメ系の仕事を希望していましたが、それが叶わず、全く違う業種の会社に就職しました。給料が良かったのでとりあえずは行きましたが、そこまでのモチベーションはなかったです。全く面白くなかったわけではなかったですが、どうしても先が見えてこなかった。このままでいいのか?と悩んだ末に退職し、再び、心残りだったエンタメ系の仕事を探し始めました。しかし、なかなか決まらず・・・。そんな時に、求人サイトで気になったのがブレインでした。エンタメとは全く関係なかったのですが、これから青森オフィスを立ち上げるという求人だったので興味を持ちました。飲食店ならオープニングスタッフの募集はあると思いますが、普通の会社ではなかなかないなと。調べてみたら本社は六本木だし、ますます興味が湧いてすぐさま履歴書を送りました。すでに完成されているところに入って仕事をこなすよりも、一から自分でできるというところに、何より魅力を感じました。天毛(代表)と会って、うわべだけの人ではないというのを感じ、ますますブレインに心惹かれました。

ブレインで身についた責任感

以前の会社では、言われたことをやっているという感じでしたが、今は違います。むしろ、自分で動かないと廃れていく。自分たち1期生が下にどんどん教えていったり、体制を整えていかないと、青森オフィスが廃れていくなというのは感じています。今はサポート業務をやっていますが、エンジニアの勉強もしているので、いずれはサポート業務を離れます。そうなった時のために、体制は整えたいと思っています。ブレインに入って、責任を感じてやらなければいけないなというのは身につきました。

将来の目標

今はサポート業務をしていますが、効率の悪い部分を感じているので、遥かに効率を良くするシステムを作りたいです。効率を良くして時間を作り、できた時間でまた新しいことをしたい。誰か一人に負担がかかる状況も作りたくないです。そして将来は、世の中の誰もやっていないことをやりたい。他の人がすでにやっていることは、あえてやりたくないんです。

日々の成長を実感できる仕事を

自分の手でなにかを創り出したい

高校時代から始めたダンスに集中したくて大学を休学して海外に渡り、腕を磨いていました。主に東南アジアでしたが、ストリートパフォーマンスやクラブで踊ってお金を稼いでは大学に戻るという生活を繰り返しです。
そんな中、知り合いのダンサーに影響されて始めた蛾の採集が、趣味の域を越えて商売になっていった。かなりいいお金になりましたが、あるときふと、これは自然破壊で得たものを横流ししているのだということに気づいて嫌になった。やっぱり自分の手でなにかを創り出せる仕事につきたいと考えて、それで選んだのがエンジニアの道でした。

自分でも感心するくらいの努力

学生時代の専攻は経営工学で、まったくの畑違いでしたが、一から十まですべて独学で勉強しました。学校に行かなくても自分ひとりで努力すればその苦労が身になると思った。ブレインに入社する前の1年間は、寝ているとき以外はほとんど勉強でした。自分でも感心するくらいです。ダンスにせよ、昆虫採集にせよ、やりだしたら脇目も振らずにのめり込むというのが自分の長所でもあり短所でもあるのですが……。
なぜブレインを選んだのかというと、大きな目標をもっている会社がいいなと思っていたからということがひとつ。
「それ、本音じゃないよね」と言いたくなる、歯の浮くような企業理念が書き連ねてある求人サイトには嫌気がさしていたので、ブレインの「まだ世にない製品を」というシンプルなフレーズが心に刺さりました。

エンジニアの愉悦

エンジニアの仕事の魅力は、「まだ世界にない、誰も見たことがないものを比較的簡単に創り出せる」ということです。例えば新しい工業製品だと、相当な数の人間や予算、時間を投じる必要がありますが、コンピュータのプログラムなら、正しいやり方さえ知っていれば誰でも作れます。エンジニアの仕事は多くが勉強です。次から次に新しい技術が生まれ、日々進化していく技術にキャッチアップしていかなければならない。その努力を怠るとあっという間に置いて行かれてしまう。泥臭いけど、やはり努力と集中力が必要な仕事じゃないかなと思います。
いまは仕事が楽しくて、むしろもっと回して欲しいとさえ思っています。経験を積み重ねていって、たとえばこれから1年後にいまを振り返ったとき「ああ、俺、成長したな」と自分自身で実感できるようになっていたいと思います。

ブレインで、わくわくする毎日を

守りから攻めに転じて

大学を卒業して、地元の百貨店に就職。色々な人と接することができて楽しかったのですが、入社して5年が経った頃、いつも同じことを繰り返している会社の古い体質がイヤになりました。その頃はどん底で、人生についてあれこれ考えていました。そんな時、ネットニュースでブレインの記事を見かけたのです。スタイリッシュなレジに、心を揺さぶられる代表のインタビュー。気づくとネットでブレインについて調べまくっていました。アルバイトをしていたコンビニや、前職の百貨店でいつもレジを使っていて、身近にあったからなのからかもしれません。

「六本木ヒルズ」「青森」「ねぶた」―

調べれば調べるほど惹かれていき、行動力がなかった自分がいてもたってもいられず、気づくと天毛(代表)にfacebookでメッセージを送っていました。無視されるだろうなと思っていたのにすぐに返信がきて、2日後には面接を受けることに。これが、ブレインへの第一歩です。

場所も人も面白い

ブレインにはわくわくする要素しかないんです。閉塞感や退屈を感じることはなく、会社の可能性、自身の可能性が広がっていくのを実感する毎日を過ごしています。自分の性格も、内向的だったのが明るくなってきたと感じています。
ブレインには今まで出会ったことがないタイプの人ばかりいるし、青森にいながら東京に出たかのような体験ができる。以前の職場はアナログだったので、効率の悪さを感じていましたが、ここでは効率も良いし意思決定も早い。新入社員だから、とか先輩だから、といったことがなく、分け隔てがないんです。透明性があるし、嘘をつかない。古すぎるところから新しすぎるところへ来ましたが、そのギャップが楽しいですね。

青森で面白いことを

日々めまぐるしいこの会社が、この先どんなことをしていくのか分からないから、何をしたいか分からないというのはあります。でも、強制されないし、こうじゃなきゃ駄目という会社ではないので、自分から何でもできると思うんです。特に、青森ではやりたい放題できると思います。自分は青森への思い入れが、他の人より大きいと思います。青森で面白いことをしたい。そんな想いが根底にあるんです。

得かどうかではなく「情熱」をもって働く

売り手と買い手を越えた人間関係

以前はブレインメールというソフトウエアのサポート業務をしていて、お客様との対応がすべて電話かメールといった回線越しのものでした。 現在の事業部に移ってからは、お客様の顔を見ながらやりとりができるので、もちろんそれなりの緊張感はありますが、その場の温度感や空気といったものを肌で直に感じ取れる。そこがいちばんの違いであり、いまの仕事の魅力だと思っています。
この仕事は家電製品のように機械の設置だけして終わりというわけにはいきません。お客様にレジを快適に使っていただくために、この製品の仕組みや使い方などを細かく説明する必要があります。その際にも、ただそれを事務的にレクチャーするだけでなく、ときには雑談を交えながら、お客様のことを知ると同時に、私自身の人となりを知っていただけるよう心がけています。そうやって、単なる売り手と買い手という立場を越えた人間関係、信頼関係が築けていれば、もしトラブルがあったときも円滑に問題解決できますし、対応もしやすいのです。
レジの設置が完了して、実際にそれを使用してみたお客様が笑顔と共に発する「すごいですねえ」といった言葉がなによりの励みというのか、本当に気持ちの支えになっています。

「ブレインさんでよかった」

パソコンなどの電子機器を使用していればわかると思いますが、どんなに完璧を期して作られた製品であってもトラブルは避けられません、当社のレジはネットを経由したPOSデータをサーバーで管理する機器なので、非常に稀とはいえ、何らかのトラブルが発生することは正直あります。 先ほども言ったように、お客様は飲食店が大半なので、店の混雑時は戦場のような状態になっています。そんなときにレジにトラブルが発生すると、お客様も商売がかかっていますから、どうしても熱くなっています。普通なら相当厳しい口調でお叱りを受けても仕方がないはずですが、お客様との間にある程度の信頼関係ができていれば、そこまで事が荒立つこともありません。
電話で対応しきれないときは、現場に飛んで行ってトラブルの原因を探って対処するわけですが、よくよく調べていくと、機器の故障というより、例えばプロバイダの契約期間が切れていたとか、レジの取扱い方法が間違っていたということがほとんどなのです。
いずれにせよ、たとえそれがお客様のミスであってももちろん、それを責めたりすることはありませんが、問題が解決したときに店長さんやオーナーの方から「ブレインさんでよかったよ」と言われたりすると、本当にこの仕事をやっていてよかったと思います。

熱がないと人の心は動かない

私が以前、勤めていたのはプログラマーをゼロから育成して、エンジニアとして各企業に出向させるといいわゆるアウトソーシングの会社でした。当初は現場でプログラミングの仕事をしていたのですが、その後異動で営業職に就いて、各顧客から寄せられた求人情報を集めている際にふと目に留まったのが「ブレインエンジンの開発のための技術者募集」というフレーズでした。
「ブレインエンジンってなんだろう?」
ふと好奇心が湧き、ネットで検索したところ、天毛(代表)のブログに行き当たった。それがきっかけです。その表現が適切かどうかはわかりませんがその「昭和チックな熱さ」に心を打たれました。そのときすでに私は何回か転職を経験していましたが、それまでは「自分がやりたいことをやれそうな会社」を会社選びの判断基準にしていたのですが、そのとき初めて「こんな人の会社で仕事がしてみたい」と思ったのです。
仕事の内容もよくわからないまま、応募したい旨のメールを送った。それが現在の私につながっているわけですが、本当に人の一生というのは一期一会、人との出会いだなと、9年前のことを振り返りながらしみじみ思わされます。
私は前職で採用担当者の経験もあるのですが、そのときに私が最も重視していたのはその人がもっている「熱」でした。どんなに立派な言葉を並べたとしても、最後はやはり「熱」がないと人の心は動かない。熱を感じられない人は、どうしてそうなるのだろうかと自分なりに分析してみたことがあるのですが、やはりそういう人は仕事を条件面で選んでいるだけのような気がします。 通勤時間だとか、給料だとか、福利厚生だとか……その会社で働くことで自分にどれだけの得があるか。それも会社選びの基準のひとつかもしれませんが、私はいいことがあるのかという、そういう条件面しか見てないのではないかと思わされるような人が多かった。
技術だとか知識よりも、とにかくこのブレインで働きたいという強い思いをもっている人。そんな人に私は後輩になってもらいたいと思っています。

青森でのサポート業務統括は天職である

好転しなかった10代

滋賀で生まれ、広島、岡山、横浜経由で東京に来たのが3歳の時。父の転勤のために全国を転々とする子供時代でした。東京ではリトル・リーグで野球漬けの毎日を送ります。父は大のジャイアンツ・ファンで、自分の子を本気でプロ野球選手にしようと思っていたようです。自分も気の合う仲間たちとプレイできる時間を楽しんでいました。ところが13歳の時、福岡に転校したことで状況が一変します。「東京からカッコつけてる奴が来た」という扱いをされ、仲間として受け入れてもらえなかったのです。中学生にとってこれはキツい。周囲とうまくやっていけないことでひねくれてしまい、野球の熱も薄れました。かわりに始めたのがギターです。パンク・ロックに影響されてピストルズやクラッシュのようなバンドを始めました。勉強は全くしなかったので成績は下がる一方。受験前に家庭教師をつけてなんとか合格した高校も面白くなくて半年で辞めてしまいます。その後、定時制高校に入学し直して、仕事をしながら4年で卒業しますが、うまくいかないことに悩み続ける10代でした。

適性を気づかせてくれた友人との出会い

天毛(代表)と知り合ったのは、自分もウェブサイトを制作する会社を経営していた頃。彼が始めていたメール配信の契約を企業に取り持ったことが縁で仲良くなりました。会って話をしたり、仕事も共にするような関係になっていきます。そして、会社がうまくいかずに悩んでいた時に、「うちでいっしょに働かないか」と声をかけてくれたのです。天毛も会社を始めたばかりで必死だったはずですが、それでもバリバリと目の前の仕事を捌いていた。それを見て「自分は会社を率いていくタイプではない。天毛のようなリーダーの元で彼を助けることが適役なのかもしれない」と思い、転職を決意します。家内には何も説明せずに自分で決め、福岡の会社を畳んで東京に引っ越しました。仕事を始めてみると、当時のブレインはメール配信の業務で大きな契約を取れば取るほどクレームで炎上するという状態。膨大なクレームに対応し、説明をしてお客様にわかってもらう毎日を送ることになります。本当にしんどい作業でしたが、それでもやりがいはありました。会社の成長を身近で感じることができたからです。大きくなっていく過程を見ることができたことは大きな喜びでした。

青森を選んだ理由

今は青森の統括責任者をしています。ここに来た理由は、自分の適性を考えると営業よりもサポートが向いていると思ったから。会社がベンチャーとして猛進している時に発生した様々なクレームと、その対処の歴史を知っているからです。うまくいかないことが連鎖する辛さも自分の体験でわかっている。その経験が活かせる場所はサポート業務しかないと考えました。自分に合っている仕事だからこそ居心地が良いし、何よりも会社に貢献できる。そうさせてくれる環境があることもブレインの誇れる点です。

青森のサポート・チームの目標は顧客満足度を上げること。だからこそサポートの重要性を改めて認識しなければならない。常に一定レベル以上のサポートが提供できるよう配慮しながら取り組んでいます。 青森の人たちは、とにかく人がいい。素直だし、真面目で向上心がある。ブレインが拠点にするには良い場所だと実感しています。これから永遠に彼らと仕事をやり続けられるわけではありませんが、自分と共に培ったことが、彼らの将来に役立つようにしてあげたいと願いながら、日々を送っています。

起業した親友のためにやってきた男

尼崎生まれ、尼崎育ち、目立ちたがり屋

ダウンタウンを生んだ兵庫県尼崎市の出身です。目立ちたがりであることは否定しません。面白い奴がクラスの人気者になれる土地柄の中で、委員長とかに推されるようなタイプの子でした。そうした環境の中で野球や遊びに熱中していましたが、勉強もちゃんとやって学校の成績は良かった。地方の国立大学に進学してからは、アルペン・スキーにハマりながら同時にたくさんの本を読みました。その中で「起業」ということを考えるようになった。「自分もいつかは起業するんだ」という想いが湧き上がってきたんです。

ワッフル工場での出会い

その頃、海外を旅するお金を貯めるために深夜のアルバイトをしていました。夜が明けるまでひたすらワッフルを焼き続ける仕事です。当時は空前のワッフル・ブームでした。その作業の中で出会ったのが天毛(代表)です。初めて会話を交わした時は、お互いがマスクをしていて目しか出ていない状態。あの時の顔を思い出すと、今でも笑いが止まりません。考えていることが似ていたこともあって、二人はすぐに仲良くなりました。笑いの感覚も近かった。将来は起業したいと語り合い、海外を旅する資金稼ぎのために共に働きました。その後、二人は別々の旅に出ることになります。彼はアメリカに行ってインターネットに出会い、ボクは東南アジアで宝石と邂逅する。宝石に魅せられたボクは、神戸に戻って宝石を扱う会社に就職し、6年間をそこで過ごすことになります。好きな仕事ができて、やりがいも感じていました。「起業」のことは忘れて、ずっとそのままやっていくつもりでした。

宝石の世界からITベンチャーへ

宝石の仕事をしている期間も出張で東京に行くことが度々あって、天毛とは会っていました。まだ笹塚にオフィスがあった頃です。「頑張って仕事をしているなあ」と思いながら彼を見ていました。そんな交流がしばらく続いた後に「うちに来ないか」と誘われるようになったんです。今、思えば、社員のほとんどがエンジニアという状況の中で、それ以外のことを引き受けてくれる人間を探していたんでしょう。自分の仕事は順調だったし、最初は冗談だと思っていました。そういう関係が3年くらい続いたある日、再び彼に誘われたんです。いつもは受け流しているのに、なぜか、その時は簡単には断れなかった。そして、しみじみと考えたことがありました。「今は、本当に仲のいい友だちだけど、このまま誘いを断り続けていたら、この関係もいずれはなくなってしまうのかもしれない。果たして、それでいいのだろうか?」と。

結婚をして子どももいたし、家内は東京に行くことには消極的でした。でも転職するなら、年齢的にも今が最後のタイミングかもしれない。それなら誰と仕事をしたいのか?と考えると、それは天毛しかいませんでした。「どういう仕事をするかよりも、誰と仕事をするかが大事」というのは二人に共通の想いです。学生時代、共に起業を志していた仲間でしたが、ここからは天毛が起業した会社で彼を手伝う関係になったんです。

「いつかはヒルズ」を叶えた後に

宝石の世界からの転職で、パソコンもITもよく知らないし経験もなかった。エンジニアと接したのも初めてでした。当時はブレインメールの配信システムと配信エンジンのライセンス販売が始まった頃で、その営業を担当しました。でも一番時間と労力を割いたのは法務や人事の仕組み作りであり、お客様からのクレームへの対応でした。ベンチャー企業は立ち止まらずに常に前に進んでいきます。その前進の中で出てきてしまう不完全な部分をフォローするのが自分の役目でした。苦しいこともありましたが、会社が順調に伸びていることが実感できたので、やりがいがあった。会社の成長を具体的に感じることができたのは、オフィスを構える場所がどんどんグレード・アップしていく時でした。

当時から「いつかは六本木ヒルズ」と二人で話していました。ITのベンチャーにとって「ヒルズ」は特別な存在だったからです。実はヒルズに引っ越す前に、六本木の別のビルに転居が決まりかけていたことがありました。ビルを内覧して、天毛と二人で屋上に行くと、目の前にヒルズがそびえ立っていました。二人、並んで、ヒルズを眺めながら、「次こそは、あそこに行こうな」と語り合ったことを今でも思い出します。今はヒルズにオフィスを持ち、ひとつの夢を実現した後も、さらなる展開を考えて仕事をしています。関西地区での営業が現在の仕事です。関西は慣れ親しんだ、よく知る地域。少し目立ちたがりのキャラを生かして、お客様を笑わせながら前進している毎日です。